
「赤色同志」のパフォーマンス。
1976年以降、抹殺された人物が斃れていく。
(2)運動の底流に多重債務の広がり
今回の反政府運動の高揚の真因は単純にいえば生活苦にある。先日、法務省特捜部のセミナー「コロナ禍で自殺ケースが急増、子どもの犯罪(覚せい剤がらみ)の増加、これにどう対処するか」を取材した。
タイはコロナウイルス感染抑制策は国際的にも「最も成功した国」とされ、タイ人もそれを誇りにしている。しかし、経済は大打撃を受けた。このまま推移すると1,000万人の失業者が出る恐れがある。一昨年ヤミ金、サラ金の多重債務でどうにもならず公的な援助が必要な人は名乗り出るようにと政府が公布したら全国で1,000万人以上が応じてきた。人口6,800万人、約2,000万世帯のタイでこの数字はとてつもない事態が起きているということだ。多重債務者救済も道半ばにしてコロナウイルスに襲われて、その救済は進まず、またもヤミ金に手を出すしかないひとが増えていると聞く。
学生総数は現在では170万人。1970年代前半、つまり学生運動が活発化していた時代は6万人もいなかった。かつて大学生はエリートであり、それを自覚し、社会も認め、その発言は影響力が甚大であった。だから1973年の民主化デモには各階層の計40万人が結集し、前国王も仲裁に乗り出し国を動かしたのである。
現在の学生運動はエリートのそれではなく、大衆の運動である。中流以下の家庭の出身も少なくなく、学費が捻出できず自主退学するケースが目立ってきている。今年の新卒者は殆ど失業状態となっている。来年以降の卒業予定者は、裕福な子弟を除いて、毎日のように就職の心配をしている。就職氷河期と軍部支配の政治体制への不満がからんで、今の学生運動高揚をもたらしている、と私はみる。
現在の状況ではクーデターはないだろう。市民の噂でもちきりとなり、内外マスコミもその可能性を論じている。だが、その条件はまずない。
第1に、大義がたたない。王室批判を口実とするなら、火に油をそそぐことになる。
第2に、国際的な経済制裁を招きかねず、それは経済の自殺行為になる。
第3に、王室改革、王室批判はタブーを破るときは困難だが、ひとたび口にしたら、今度は言うは易し行うは難しである。学生主導の反政府運動の主体的力量はまだまだひ弱である。
第4に、ネット社会の発展と浸透は軍部の暴走を抑制するに違いない。学生の層は誰よりも携帯電話を駆使している。学生リーダーの周りには現場の瞬時をも逃さず撮影し説明を付けて直ちに友人へ、グループへ送信することに熟練している。
日本のマスコミは学生リーダーらの「王室批判」「王室改革要求」焦点を当てて報道している。私が見るところ、タイ社会の実態は、その要求を冷静に検討する段階には到底なっていない。まず、タイの歴史は「王国の歴史」である。タイの統一国家を樹立したスコタイ王朝、次いでアユタヤ王朝、この時代の外敵はビルマであり、タイ人にとっての「戦争」とは泰緬戦争のことを指す。
ビルマに滅ぼされてからはトンブリ王朝、そして現在、ラーマ10世まで続いているチャクリ―王朝。この国史を学校教育、家庭教育、マスコミ、観光地(王朝の遺跡、遺物)、映画演劇、博物館で幼少時から一生教わっていくのである。大学卒業も必要単位をとっても王室からの証書授与があって初めて世に誇れるというのが社会通念となっている。
勿論いつの時代でも「反逆」の先駆者は一握りのグループから始まる。だから若き活動家らがタブーに挑戦し公に訴えた意義は大きい。だが現在ハイライトを浴びている学生リーダーらの動きをみていていくつもの疑問が浮かんでくる。1970年代の学生運動は、農村支援、労働条件向上、組合組織化にも取組みスケールも大きかった。リーダーの見識も高くカリスマ性もあった。果たしていまのリーダーはどうだろうか。
経験、理論・哲学といった奥行きがあるのか。ネット社会の利便性、マスメディア受けする演出が先走りして、地道な足場固めの活動はどうなっているのか。学生の経済困難、就職氷河期、政治要求の高まりで運動参加者は増加してきたが、これからはどうなのか。「学生主導」が変容、変質していくのではあるまいか。9.19の舞台設営、参加者の階層、運動資金の出所、演説のなかみとスローガン等々冷静にみていくと疑問はふくらむ。
その集会から1週間、2週間と経過しただけで既に支持層のなかに意見の相違、組織内部の亀裂が始まっているではないか。そうなると余計に運動を先鋭化させ、逮捕され「殉教者」として同情、支持を広める戦術を選ぶことになはしないか。
1973年当時は学生活動家逮捕に対する広範な批判、その学生らを「息子、娘のように」支援する国民の声があった。それは学生の訴えに国民大多数の共感と同調をひきおこす力が備わっていたからだ。半世紀近くタイ社会をみてきた私の経験からは、これからの長いジグザグの困難な道のりを予想せざるを得ない。
(宇崎真 アジア・ウオッチ・ネットワーク代表/在バンコク)