#24 北朝鮮の入学式
入学式につきものといえば桜だ。門出の春には桜が似合う。しかし、世界的にみると4月に入学式を持つ国は極めて少ない。9月が主流でアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ロシア、中国などだ。
アジアでみればシンガポールは1月、タイは5月になっている。
しかも、日本のように厳粛な入学式や始業式をする国は少ない。簡単な入学手続きを済ませて終わるだけだという。
「近くて遠い国」の北朝鮮では、何故か4月に日本と同じような入学式を行っている。小学校の入学式は、制服があるので私服が多い日本の小学校とちょっと雰囲気が違うが、親が付き添い、門出の記念写真を撮る風景は日本と変わりない。
今年の小学生の制服は、「子供は国の宝」とする金正恩第一書記の指示で、北朝鮮産業美術創作社衣装創作室が丹念にデザインしたものだ。新しいデザインの制服に身を包んだ生徒の晴れ姿が春の日差しに輝いていた。平壌市牡丹峰区域にあるミンフン小学校では、朝からお祝いの花束を手に持った生徒と保護者でで賑わった。
ミンフン小学校の教員や父兄、生徒に入学の抱負を聞いてみた。
*シン・ヒョンヒさん(教員、28歳)。
−学校の歴史についてお話してください。
この学校は、1928年に建てられて女子学校でした。金日成主席が回顧
録で愛国的な女性だと 評価した白善行が、朝鮮人の子女を教育する ために個人の資金で作りました。日本帝国主義が植民にして朝鮮の言 葉と文字、「創氏改名」で人々の名前まで奪っていた時代です。国が 解放(1945.8.15)された後、平壌第10中学校となり、停戦後(1953.
7.27)は平壌第40人民学校に改編されました。1954年4月1日、金日成
主席は廃墟も同然なわが学校を訪れ、学校建設と教育事業において提
起される問題を一つひとつ教えました。
その後、わが小学校は、偉大な大元帥たちの崇高な教育政策を掲げ
て活動した結果模範的な教育単位に授与される赤旗称号を受ける栄光
を担いました。全般的12年制義務教育を実施するという金正恩元帥の
指導に従い、3階建ての 校舎は4階建てに拡張され、全教室で多機
能教育を実現できるようになりました。
*チェ・ウンスンさん(牡丹峰区域ミンフン洞85班、35歳)。
−息子を学校に入学させた母親の気持ちはどうですか。
幼稚園に通っていた息子が小学校に入学して、国の恩恵がいかに大き いかを改めて感じるようになりました。冬用と夏用の制服、靴まで国
から支給されました。鞄の中には教科書 やノート、筆箱、鉛筆など
学習に必要なものは 全部揃っていました。しかも費用はただ同然で
す。私は被服工場の労働者として1カ月の生活費は平均50万ウォン
以上ですが、その百分の1です。国家は全国の生徒に新しい制服や
学用品を支給しています。その費用と手間を思うと、国のためにもっ
と多くの仕事をしなければならないと思います。
*キム・リュヨン(ミンフン小学校1年生、7歳)
−大きくなったらどんな人になりますか。
母の願い通りの人になりたいです。
−それはなんですか。
母は私が最優等生になってこそ国のために多くの仕事をすることがで きると言いました。最優等生になるために頑張ります。
(アジア・ウオッチ・ネットワーク 北朝鮮取材班 / 2015年4月)
#27 サッカーリズム体操
いま北朝鮮で「サッカーリズム体操」が急激に広まりつつある。平壌では5月25日から29日までの5日間、市内の15の体育クラブ、20の青少年スポーツ学校、29のサッカークラブから監督、選手およびコーチ等1,000名を招き、サッカーリズム体操の講習会が行われた。
この体操は、北朝鮮体育省と創作集団が考案したもので、軽快な音楽に合わせて体を動かし、筋肉等を柔軟にするもので、いわば北朝鮮式ストレッチ。
平壌市内の牧丹峰区域にある民興高等中学校でもサッカーリズム体操を取り入れている。この学校はサッカー、バスケットボールが全国屈指の強豪校として有名である。
サッカーの指導を務めるリウンジュさん(33歳)は、14歳の時にサッカーを始め、その後女子サッカー選手として頭角を現し、現役時代には国内だけでなく海外の試合にも出場している。選手として活躍した後は監督としても8年間勤めたという。
リウンジュさんは「サッカーを学び始めたばかりの子供達にとって、サッカーリズム体操は体を柔軟にするばかりでなく、サッカーの基礎的な動作技術を習得する上で大きな効果を期待できる」と話す。
高等1年生のシンチョルジュ君(14歳)は「サッカーリズム体操は準備体操の効果だけでなく、監督のアドバイスに対しても体がついていく感じになります」とこの体操を大いに気にいっている。
これから新たにサッカーを始める子供たちには、このサッカーリズム体操は必須になり、身体に馴染みこむと、サッカーボールの扱いもよりリズミカルになるようだ。
北朝鮮の子供たちはの今後のサッカーに取り組む姿勢が、より熱くなるだろう。
これまで、経済難や経済制裁を受ける中、北朝鮮サッカーはジュニアの育成に力が回らなかった。しかし、近年余裕が生まれ、サッカーに限らず各競技でジュニアから育成に力を注いでいるように思える。
サッカー強豪国は、競技に専念できる環境を整えて育成するプログラムがあると聞く。北朝鮮もこのプログラムを本格的にスタートさせたということか。
(アジア・ウオッチ・ネットワーク 北朝鮮取材班 / 2015年6月)
#32 「時間」奪還の真意
社会科学院歴史研究所所長
チョ・フィスン(曹喜勝)博士
仰釜(ぎょうふ)ニッキ
日本の国会にあたる北朝鮮の最高人民会議常任委員会は、同国の標準時を現行より30分遅らせる「平壌時間」を設定し8月15日から適用する政令を発表した。日本との時差はなかった、15日以降は日本、韓国より30分遅れることになる。
朝鮮半島の時間は日本と同じ、東経135度を基準とするタイムゾーンだった。しかし、「大韓帝国」時代に今回と同じような日本と30分差の標準時を適用した時期があったが、1910年の日韓併合で日本と同じ時間帯の運用になった。
北朝鮮の社会科学院歴史研究所所長・チョ・フィスン(曹喜勝)博士は「平壌時間」制定の背景を「自分たちの時間さえ日帝に奪われたもので、朝鮮人民は時間を取り戻した」として次のように語った。
Q:なぜ今標準時間を直すのか?
今まで朝鮮と日本は9経帯時の日本の標準時(東京時間)を使ってきま した。8経帯時(北京時間)と9経帯時の時差は1時間です。
世界中のホテルや空港の時間表に「朝鮮時間」、「平壌時間」、
「ソウル時間」というものありません。それは朝鮮固有の時間が
日本に奪われたからです。
Q:時間も盗まれるのか?
盗まれます。日帝は1905年、強盗的な「乙巳5条約」(日韓保護
条約)をねつ造して朝鮮の外交権を強奪しました。
そして1906年から、朝鮮にあるのすべての侵略的出張所で日本の
標準時を使用するようにした。正午(12時)を日本出張所では12時30分
にしました。
Q:1905年以前には朝鮮で時間をどのように測定したのか?
わが国には新羅の慶州の瞻星臺と高麗開城の満月台近くの天文台、
高句麗王宮址の安鶴宮近くの天文台(平壌民俗公園周辺)などがありま
した。先祖が天文台(瞻星台)を設置して天文を見たのは太陽や月、
星の観測、気象気候観測など様々でした。このうち、太陽の観測は
時間測定につながります。太陽の観測を通じて十二支に即して時間を
測定、制定していました。わが国の日時計として一番有名なのは
「仰釜(ぎょうふ)にっき)」です。
15世紀以降、わが先祖は日時計の「仰釜ニッキ」、水時計の「自撃漏(じげきろう)」で時間を正確に測定してきま した。「仰釜にっき」では人の頭の頂上に陽が着いた時、人の影が隠れた時が正午でした。
つまり、正午は太陽が地平線上から子午線を経過する瞬間(12時)ということです。わが国で正午は近代的経帯時に よると東経127度30分です。現在の正午と数百年前の「仰釜にっき」による正午は大きな差がないです。
Q:朝鮮時間を如何にして日帝が強奪したのか、朝鮮の標準時をどうして日本時間にあわせたのか?
時間を強奪したというのは朝鮮固有の独自の時間制度をなくし、標準時間を日本時間に無理に合わせたことを
意味します。わが国は国際的な時経帯によると8経帯と9経帯の間に位置しています。経帯時(時間)とは経度によっ て地球の表面を24個の経帯に分け、それぞれの経帯で同じ時間を使うものです。球体(正確には楕円)の地球を15度ず つ分けて24個の経帯に区分し、1経帯の間に1時間の時差を設けたものを経帯時と言います。わが国は8経帯と9経 帯の間に位置しています。8経帯には平壌、ソウルをはじめ陸地面積の55%、9経帯には45%があります。
従って、わが国は8.5経帯の時間を使用する方が正しいのです。
わが国は長い間、独自の時間制を使用してきました。「仰釜にっき」を改良したものと「自撃漏」、また欽敬閣に
設けられた「玉漏機輪」などで測定した時間です。これは今の8経帯と9経帯の間に属する時間でした。
しかし、日帝は「(東京からの)指示を円滑に」執行させ、朝鮮人たちが日本の統治時間に慣れるようにするため、
日本時間を押し付けたのです。日帝は1910年、朝鮮を完全に占領した後、山川と土地、文化遺産などを強奪するとと
もに朝鮮独自の時間も完全に奪ったのです。
日帝が朝鮮占領25年と30年を「記念」して編纂した「施政25年史」(185ページ)と「施政30年史」(82ページ)に、
次のように記されています。
「明治39年(1906年)6月2日以来、半島に於ける日本帝国の諸官署のみは日本の標準時を使用明治41年(1908)年
4月1日以後は半島に於ける日韓両国の官署共帝国(日本)中央標準時に対し30分の時差を置いて、標準時としたが、
合併後内地との関係が益益密接となり、相互の交通(往来が)亦頻繁を加えるにいたり、これを統一する必要性認め、
明治45年(1912年)1月1日より朝鮮の標準時は中央標準時に據ることとした」。
日帝は搾取と略奪、朝鮮の永久的奴隷化の下心で朝鮮独自のの時間を奪ったのです。時間は人間の生活と密接に
結び付いています。宗主国の日本にとって植民地朝鮮の時間が同じであれば強盗的な指令も「円滑」に施行でき
ます。日帝はいわゆる「内鮮一体」、「同祖同根」を唱えながら「皇国臣民化」しようとしました。正午(12時)に
サイレンが鳴ると皆、日本の「皇居」に向って「正午黙祷」、「宮城遥拝」を強いたのです。「天皇」に忠良な
「皇国臣民」に化するために、日本時間を押し付けたのです。
Q:70年間も経っているのに、はなぜ時間を取り戻さなかったのか?
今日の「東京時間」は日帝の残りかすだから直さなければならないと論議されました。しかし、定着した標準時間を
直すのは簡単なことではありません。とはいえ、そのままに放っておくこともできません。我々は、祖国解放70周年
に際して、日帝の残像を清算し、朝鮮固有の標準時間を「平壌時間」と命名しました。これは100年来の快挙です。
(アジア・ウオッチ・ネットワーク 北朝鮮取材班 / 2015年10月)