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アジアに密着 Asia-Wach Network

    
           



#21 雪化粧の平壌  




 平壌の人々にとって、雪は縁起の良いもとされ、大雪ともなると祝日のように心が浮かれると聞いた。
 1月18日の日曜日、平壌では今年初の本格的な降雪に見舞われ、翌19日の朝には30センチも雪が積もった。昨年末から雪の日は多かったが、こんなにたくさん積もったのは、近年にないと言う。
 正月のぼたん雪を待ち望んでいた子供たちは、大雪で冬休みの一時を雪遊びで楽しむことができた。

 北朝鮮では、「大雪がある年は豊年になる」と言われている。昨年(2014年)は降雪量が少なく、貯水池の水が枯れ、市民生活に影響がでた。それだけに今年の大雪は、市民に雪の弊害より、雪が貴重な資源になる、と実感させた。

 普通江公園で雪掻きをしていた管理人キム・スンヒさんは、「金正恩第1書記は今年の新年の辞で、全国の家庭に暖かいい情があふれ、可愛いわれらの子供たちにより明るい未来があるよう祈るとおっしゃいましたが、そのやさしいお言葉が、雪の結晶となって降りたようです」と話した。

 金正恩第1書記は国民に新年の挨拶(新年辞)を送り、祖国解放70周年と朝鮮労働党創立70周年に当たる、2015年の膨大な闘争目標を実現するためには、白頭(ペクトゥ)の革命精神、白頭の烈風精神で生き、かつ戦わなければならない、と強調した。これまで北朝鮮では白頭の革命精神について多く強調されたが、「白頭の烈風精神」という表現が命題として使われたのは初めてである。

 白頭山と雪は、強い結びつきがある。雪を見て喜ぶ北朝鮮人の生活の裏面には、白頭の烈風精神という強い背景があるようだ。だからこそ、零下20の酷寒の中でも、北朝鮮の人々は暮らしを人一倍明るく楽天的なものに受け止めているようだ。
 (アジア・ウオッチ・ネットワーク 北朝鮮取材班 / 2015年1月)

#22 軍事訓練とスポーツ大会  




木に結んで「綱引き」特訓
 2015年も2月に入り、平壌市内では二つの光景がみられた。
 いま平壌では、金正恩第一書記が陣頭に立ち軍事訓練が強化されている。北朝鮮は朝鮮半島の緊張緩和に向けて幾つかの提案を投げかけた。しかし、米・韓は北の提案を一蹴した。米国の敵視政策を断固粉砕するとして軍事訓練のレベルを高めているようだ。
 一方、市民生活には、緊張感はあまりない。昨今のスポーツ・ブームは相変わらず続いている。対米関係の緊張など無縁であるかのように、中央機関で働く職員による各種対抗試合が行なわれている。

 「第20回中央機関活動家スポーツ競技大会」と言われるもので、平壌市内・青春通りのスポーツ村の競技場ではどこも熱戦が繰り広げられている。
 この大会は各職場の親睦交流が目的だったが、最近では勝負へのこだわりも強くなっているようだ。海外試合で活躍する北朝鮮選手の活躍がメディアで報じられたことがその背景にある。

 各競技の中で、特に熱戦となったのは女子バレーボールだったという。そして、多くの観客を沸かせた競技は、平壌体育館で行われた綱引き競技だった。
 北朝鮮でも綱引きは、長い歴史を持つ民族的伝統競技である。高句麗壁画古墳には、綱引きを描いた壁画もある。大会前には、木に綱を結び、綱引き競技の訓練に熱中する人たちも多かった。
 今年の大会で一番の異彩を放ち、観客を熱狂させた競技は間違いなく「綱引き」だと、多くの市民は言う。
 このままスポーツに熱中する光景だけであれば北朝鮮も長閑(のどか)である。
 しかし、3月には北朝鮮を敵とみなす米韓合同軍事演習が予定されている。
 暫くは二つの対極的な光景がつづくのだろうか。
 (アジア・ウオッチ・ネットワーク 北朝鮮取材班 / 2015年2月)


#23 凧と風船  


2月のカレンダー


 北朝鮮は、「近くて遠い国」と言われて久しい。2002年9月の日朝首脳会談で「近くて近い国」になるかと期待したが、現実には不信の連鎖が止まらず、歴史上最悪の関係に陥ってしまった。いま、北朝鮮は「一番遠い国」かもしれない。

 北朝鮮は昨年末からエボラ出血欠熱の感染防止策を強化した。北朝鮮への入国は困難を極め、北朝鮮から届く情報も激減した。米朝関係も緊張が高まっている。この状況から「北朝鮮国内は重苦しい空気に包まれている」と思ったが、全く逆の話題が平壌から届いた。

 北朝鮮では連休は極めて少ない。日曜日と祝日がつながって、連休は2日間というのが一般的だ。しかし、今年は旧正月が2月19日だったこともあり、2月15日の日曜日からほぼ1週間(16日は金正日総書記誕生日)の連休になった。
 天気も穏やかな暖かい日が多かったようで、市民は一週間の連休を堪能したという。
 連休を一番楽しんだのは子供たちだった。民族衣装を身につけ着て凧揚げとチェギ蹴り(石などを紙や布で包み、バトミントンの羽のようにしたものを足で蹴り上げる遊び) 、縄跳びをする子どもの姿が街の至る所で見られたという。平壌市内の金日成広場は、民俗遊戯を楽しむ数千の子供たちで埋まった。
 普通川区域セゴリ高等中学校に通うシン・ジョンシムさん(15歳)は「民俗遊戯を楽しむ旧正月は楽しい。こんな祝日がもっと多かったらどんなにいいだろう」と話した。
 子どもたちが熱心だったのは「凧揚げ」だった。「凧揚げ」は旧正月の民俗遊戯競技の中でも、皆が熱くなる競技だという。ある子どもは「南北統一」と書いた凧をあげていた。「この凧を南(韓国)の子どもに送りたい」と話した。

 北朝鮮の関係者からこの話を聞いたとき、韓国が飛ばし続けている北朝鮮を誹謗・中傷する「風船ビラ」への温和な対抗策かと思った。南からの放たれる風船ビラに対して、北朝鮮は「統一凧」を空に揚げる。風船も凧も子どもたちが大好きな遊び道具だ。子供たちの無邪気な遊び道具を政治に絡めることに胸が痛くなる。
 3月に入り、北朝鮮が実施してきたエボラ出血欠熱の感染防止策も殆ど解除された。西アフリカからの入国者のみ3週間の監視期間を設ける、という内容に変わった。北朝鮮は観光客の受入れの扉を広げ
た。
 日・韓のメディアが伝える北朝鮮情報は、フィルターがかかったようで事実を捉えていないことが多い。観光といえども、自分の眼で見ることも大切だと感じる。

 (アジア・ウオッチ・ネットワーク 小堀 新之助 / 2015年3月)

#24 北朝鮮の入学式






記念写真に収まるチェ・ウンスン母子
 入学式につきものといえば桜だ。門出の春には桜が似合う。しかし、世界的にみると4月に入学式を持つ国は極めて少ない。9月が主流でアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ロシア、中国などだ。
 アジアでみればシンガポールは1月、タイは5月になっている。
しかも、日本のように厳粛な入学式や始業式をする国は少ない。簡単な入学手続きを済ませて終わるだけだという。
 「近くて遠い国」の北朝鮮では、何故か4月に日本と同じような入学式を行っている。小学校の入学式は、制服があるので私服が多い日本の小学校とちょっと雰囲気が違うが、親が付き添い、門出の記念写真を撮る風景は日本と変わりない。
 今年の小学生の制服は、「子供は国の宝」とする金正恩第一書記の指示で、北朝鮮産業美術創作社衣装創作室が丹念にデザインしたものだ。新しいデザインの制服に身を包んだ生徒の晴れ姿が春の日差しに輝いていた。平壌市牡丹峰区域にあるミンフン小学校では、朝からお祝いの花束を手に持った生徒と保護者でで賑わった。
 ミンフン小学校の教員や父兄、生徒に入学の抱負を聞いてみた。

*シン・ヒョンヒさん(教員、28歳)。
−学校の歴史についてお話してください。
 この学校は、1928年に建てられて女子学校でした。金日成主席が回顧
 録で愛国的な女性だと 評価した白善行が、朝鮮人の子女を教育する ために個人の資金で作りました。日本帝国主義が植民にして朝鮮の言 葉と文字、「創氏改名」で人々の名前まで奪っていた時代です。国が 解放(1945.8.15)された後、平壌第10中学校となり、停戦後(1953.
 7.27)は平壌第40人民学校に改編されました。1954年4月1日、金日成
 主席は廃墟も同然なわが学校を訪れ、学校建設と教育事業において提
 起される問題を一つひとつ教えました。
   その後、わが小学校は、偉大な大元帥たちの崇高な教育政策を掲げ
 て活動した結果模範的な教育単位に授与される赤旗称号を受ける栄光
 を担いました。全般的12年制義務教育を実施するという金正恩元帥の
 指導に従い、3階建ての 校舎は4階建てに拡張され、全教室で多機
 能教育を実現できるようになりました。

*チェ・ウンスンさん(牡丹峰区域ミンフン洞85班、35歳)。
−息子を学校に入学させた母親の気持ちはどうですか。
 幼稚園に通っていた息子が小学校に入学して、国の恩恵がいかに大き いかを改めて感じるようになりました。冬用と夏用の制服、靴まで国
 から支給されました。鞄の中には教科書 やノート、筆箱、鉛筆など
 学習に必要なものは 全部揃っていました。しかも費用はただ同然で
 す。私は被服工場の労働者として1カ月の生活費は平均50万ウォン
 以上ですが、その百分の1です。国家は全国の生徒に新しい制服や
 学用品を支給しています。その費用と手間を思うと、国のためにもっ
 と多くの仕事をしなければならないと思います。

*キム・リュヨン(ミンフン小学校1年生、7歳)
−大きくなったらどんな人になりますか。
 母の願い通りの人になりたいです。
−それはなんですか。
 母は私が最優等生になってこそ国のために多くの仕事をすることがで きると言いました。最優等生になるために頑張ります。

  (アジア・ウオッチ・ネットワーク 北朝鮮取材班 / 2015年4月)

#25 運動会と競争精神  



ホン・ソルチュ先生

チョン・ヒャンさん
 日本の小・中学校の運動会は様変わりしてきた。学校によっては徒競走などで、「平等」の観点から順位をつけず、子供は手をつないでゴールする、という。こうなると、運動会ではなく「仲良し会」ではないか。

 北朝鮮の小中学校でも春と秋の2回、運動会が開かれる。南北関係は好転する気配がなく、日・米との関係も対立状態が解消されていない。その社会環境で行われる運動会である。日本のよう“優しい”運動会ではない。競争力、協力、連帯感、団結力などを養う場でもある。
 平壌市内の普通江初級中学校でも春の運動会が行われた。「普通
江」と「大同江」のチームに分かれ熱戦が繰り広げられていた。北朝鮮のスポーツブームを反映して今年は特に白熱した競技が多かった。
 教師暦7年のホン・ソルチュ先生(28歳)は、「運動会に対する生徒たちの関心がとても高い。今年はかなり前から、運動会はいつですかという生徒たちの質問が多かった」と話す。

 普通江初級中学校の生徒が一番熱中する競技は、クラスメートが足を紐で縛り一緒に前に進む、「百足(ムカデ)競争」だ。協調と団結力を競う競技で、運動会が終わると、クラスの団結力と競争心がいっそう高まる、と教師は言う。
 「百足競争」で1位となった3年生のチョン・ヒャンさん(13歳)は、「4月に入って春の運動会の日を指折り数えて待っていました。クラスメートが力を合わせて競技で勝つたびに、クラスの団結力が強くなったと感じます」と誇らしげに胸をった。実はチョンさん、去年までは運動嫌いだった。しかし、昨今のスポーツブームに遅れまいと今年になって暇さえあれば校庭でスポーツに励んできた。

 北朝鮮ではいま、チョンさんと同じように運動嫌いから一転してスポーツ少年・少女に転身した子供を多く見かける。
 普通江区域に住むハン・ヨンランさん(40歳)さんの息子も、どちらかというと「がり勉」タイプで運動は苦手だった。父親は鴨緑江体育団の副団長を務めるスポーツマンだが息子は運動に興味を示さなかったという。
 これからの北朝鮮社会では勉強だけでなく運動も重要だとして心配が絶えなかったが、今では積極的にスポーツに取組んでいる。 放課後、校庭はスポーツを楽しむ生徒で埋まる。近年、国際大会で活躍する北朝鮮選手が多くなってきた。

 一方、日本政府は2020年の東京五輪・パラリンピックに向けた選手強化、スポーツを通じた地域振興や国際交流に取り組むため、スポーツ庁を今年の秋に設立する。それも結構だが、「運動会は仲良くゴールイン」ではなく北朝鮮のように運動会で集団力と競争力を培うのも一案と思う。

 (アジア・ウオッチ・ネットワーク 村上知実 / 2015年4月)

#26 歓喜の「ネゴヒャン(我が故郷)」サポーター  


北朝鮮 対 ウズベキスタン(6月16日)



 2018年のFIFAワールドカップ・ロシア大会を目指すアジア予選が始まった。日本代表チーム(FIFAランキング52位)は16日、2次予選でシンガポール代表(FIFAランキング154位)と対戦し、まかさかの0-0で引き分けた。日本チームのシンボルカラー「侍ブルー」で埋まった観客席からは試合終了後、不満の声があがった。
 同じ日、平壌の金日成競技場では北朝鮮(FIFAランキング
146位)がウズベキスタン(FIFAランキング74位)と戦い、4-2で快勝している。
 北朝鮮は今でこそFIFAランキング146位と低迷しているが、1966年のW杯では初出場を果たし強豪イタリアを1対0で下し、アジア勢としてのワールドカップ初勝利とグループリーグ戦の初突破を果たした。
 今回、試合結果は世界に対して少しの驚きを与えたが、もっと衝撃だったのはスタジアムを埋め尽くした5万人のサポーターの装いだろう。サポーターはチームのユニフォームやチームカラーにに合わせたシャツなどを着てでスタンドを埋めるが、金日成競技場にもそうした熱狂的なサポーターがいた。推定で2万人ほどが北朝鮮チームに合わせて赤シャツを着込み国旗を振って声援を送っていた。
この赤シャツ「ネゴヒャン(我が故郷)」ブランドと言うらしい。

 北朝鮮代表チームの選手として10年余り活躍してきたリミョングクさんは「2009年から『ネゴヒャン』を着たサポータが目立つようになり、この服を目にすると不思議に力が沸き出ました」と打ち明ける。

 試合前に、ネゴヒャン・サポーターに話を聞いた。
(平壌火力発電所の労働者)
Q:応援服は買ったのですか?
 わが発電所のスポーツ担当者が今日の観戦の時、しっかり応援
 しろとこの服を配りました。
 この服を身に着けると責任感が湧き出てきます。

(女子サッカーチームの選手)
Q:朝鮮チームが勝つと思いますか?
 ウズベキスタンはアジアの強豪です。これまで男子サッカーでは
 勝ったことがありません。しかし今日、その歴史が変わるかもし
 れないです。この服を着て観戦する市民も心をも合わせて応援し
 ますので、必ずや勝つだろうと思します。

(平壌市中区域万寿棟の住民 キムヨンオクさん)
Q:女性応援団はいつ結成されました?
 私たちは家庭の主婦です。数日前からW杯予選が行われるという
 ニュースを耳にして、進んで応援団に入りました。スタジアムを
 覆う赤色の服は、私たちから選手らに贈る祝いの花束です。

(平壌市普通江区のリソンヒさん)
Q:試合だから負けるけることもあるでしょう?
 ウズベキスタンチームは世界ランキングでは上す。ひょっとし
 たら負けることもあるでしょう。しかし、、私たちは応援する
 ことを後悔しません。もし負けるてもその経験は蓄えになり
 ます。我々の応援が国のスポーツの発展に少しでも寄与できれる
 のならば、試合に負けても選手達にはより情熱を込めた
 応援を続けます。

  (アジア・ウオッチ・ネットワーク 北朝鮮取材班 / 2015年5月)

#27 サッカーリズム体操




民興高等中学校でサッカーを教える
リウンジュさん
 いま北朝鮮で「サッカーリズム体操」が急激に広まりつつある。平壌では5月25日から29日までの5日間、市内の15の体育クラブ、20の青少年スポーツ学校、29のサッカークラブから監督、選手およびコーチ等1,000名を招き、サッカーリズム体操の講習会が行われた。
 この体操は、北朝鮮体育省と創作集団が考案したもので、軽快な音楽に合わせて体を動かし、筋肉等を柔軟にするもので、いわば北朝鮮式ストレッチ。

 平壌市内の牧丹峰区域にある民興高等中学校でもサッカーリズム体操を取り入れている。この学校はサッカー、バスケットボールが全国屈指の強豪校として有名である。
 サッカーの指導を務めるリウンジュさん(33歳)は、14歳の時にサッカーを始め、その後女子サッカー選手として頭角を現し、現役時代には国内だけでなく海外の試合にも出場している。選手として活躍した後は監督としても8年間勤めたという。
 リウンジュさんは「サッカーを学び始めたばかりの子供達にとって、サッカーリズム体操は体を柔軟にするばかりでなく、サッカーの基礎的な動作技術を習得する上で大きな効果を期待できる」と話す。

 高等1年生のシンチョルジュ君(14歳)は「サッカーリズム体操は準備体操の効果だけでなく、監督のアドバイスに対しても体がついていく感じになります」とこの体操を大いに気にいっている。
 これから新たにサッカーを始める子供たちには、このサッカーリズム体操は必須になり、身体に馴染みこむと、サッカーボールの扱いもよりリズミカルになるようだ。
 北朝鮮の子供たちはの今後のサッカーに取り組む姿勢が、より熱くなるだろう。

 これまで、経済難や経済制裁を受ける中、北朝鮮サッカーはジュニアの育成に力が回らなかった。しかし、近年余裕が生まれ、サッカーに限らず各競技でジュニアから育成に力を注いでいるように思える。
 サッカー強豪国は、競技に専念できる環境を整えて育成するプログラムがあると聞く。北朝鮮もこのプログラムを本格的にスタートさせたということか。

   (アジア・ウオッチ・ネットワーク 北朝鮮取材班 / 2015年6月) 

#28 環境に優しいトロリーバス  




キムソンチョル(38歳)運転手は
「新型車は高性能で運転が楽です」と語る
 日本の若い人たちは「トロリーバス」を知っているだろうか。路面電車とバスの長所を取り入れた乗り物で、日本では1972年まで横浜で走っていたものが最後の都市トロリーバスとなった。
 路面電車のようにレールを敷設する必要がなく、電動走行なので、直接排気ガスを出さない。しかし、レールの代わりに架線が必要で、その敷設や維持のために費用と時間がかかる。架線が景観を損ねるうえに、トロリーバスを優先して運行すると交通量の多い道路や幅の狭い道路では渋滞を招くことから、姿を消した。
 日本では「立山黒部アルペンルート」で運行されているが、これは自然環境への配慮と、トンネルト内の排気問題から排ガスを出さないトロリーバスが選ばれたようだ。

 海外をみると、中国やロシアなど旧東側諸国では現役で活躍している。アメリカ国内でも観光地を中心にトロリーバスがあるが(ワイキキ・トロリーバスなど)これらはレトロ調の車体を使用したディーゼルエンジンまたはガソリンエンジンで走行するバスである
 北朝鮮の首都・平壌は路面電車、地下鉄、バス、タクシー、そしてトロリーバスが公共交通機関として市民の足になっている。電力が逼迫した1990年代の後半には立ち往生したトロリーバスをよく見かけ街のお荷物的な時もあった。

 しかし今、排ガス規制が強まるなか、脚光を浴びるようになった。平壌の各路線に次々と新型がお目見えし街の風景を一新させている。
 新型のトロリーバスは旧型より車体が長く、座席の数も大幅に増えた。新型車体もスマートで軽快な印象だ。車内も明るく、冷暖房が完備され座席の座り心地も良く、市民に好評だ。窓も大きくなり街並みを眺めながらの移動は快適で、通勤・通学も楽になったという。

 平壌トロリーバス工場の技術者は、「新モーターの開発に成功したため、故障も極端に減り、運行の安全性が高まった」と胸を張る。新型の生産計画は年間数百台を目標にしている。
 工場幹部は、市民の意見を聞き、より便利な、快適な車体設計を進め、近い将来には平壌では、全部、新型車両に代えるよう製造能力を高めたいという。

 「瓢箪から駒」といっては失礼だが、平壌はトロリーバスが残ったことで、世界でも有数の都市環境に優しい街になるのかも知れない。
   (アジア・ウオッチ・ネットワーク 小堀 新之助 / 2015年6月) 

#29 聴覚障害者のサッカー(Deaf Football)  




 聴覚障害者のサッカーがある。選手の聴力レベルは55dB(デシベル)以上で、試合中は補聴器の装着は禁止されている。聴力レベルは55dB以上というのは、人の声が意味の分からない程度に聞こえる状態を指す。聴力120〜130dBとなると重度で、ジェット機の轟音も線香花火程度にしか聞こえないようだが、聴力120dB以上の選手も多いという。

 日本ろう者サッカー協会は1998年に結成されているが、北朝鮮でも「朝鮮ろう者サッカーチーム」が2014年5月に発足している。身障者への支援を国策として進める中、全国の聾唖学校と平壌障援技術交流社が中心となってサッカーチームを結成した。選手は、運動能力の高い聴覚障害者、う者を選抜したという。
 海外試合も積極的に行っている。昨年12月にはオーストラリアで開かれた国際ろう者親善試合で世界の障害者スポーツ競技の舞台へ初出場を果たした。

 朝鮮ろう者サッカーチームは、世界大会を目標に猛訓練をこなし、多角的な戦法を習得している。試合ではお互いが目を合わせ意思疎通を図るアイコンタクトが重要となる。
 朝鮮チームの監督は当初、選手との意思疎通に苦労した。
しかし、手話を習得し、唇の動きを読んでコミュニケーションを高めることで、選手たちに合うサッカー戦術を研究したという。

 朝鮮ろう者サッカーチームは次の国際試合で好成績を収める自信に満ち、猛訓練に明け暮れている。

 (アジア・ウオッチ・ネットワーク 北朝鮮取材班 / 2015年9月)

#30 高麗航空の新事業  



ドライバー歴15年のハンユンナムさん
 高麗(コリョ)航空は北朝鮮のフラッグ・キャリアだ。唯一の航空会社でもある。世界各国の航空会社の格付けでは下位に低迷しているが、高麗航空の拠点である平壌国際空港ターミナルが新装されたことで、評価も上がってくるだろう。
 事業も国際線・国内線の運航だけでなく、新たにタクシー事業も平壌市内で始めた。タクシーの車体は灰色と青色のツートンカラーで、高麗航空のロゴマークである、
 朝鮮半島の形にも似たツルが描かれている。落ち着いた配色とデザインは、見るからにスマートで軽快な印象を与えている。

 この数年、北朝鮮ではタクシーが急速に増えているが、高麗航空がタクシー事業に乗り出した背景には、まだタクシー需要が見込まれるからであろう。
 平壌市民は「交通手段の選択肢が増えたことで移動手段が便利になった」と口をそろえて言う。

 ドライバー歴15年のハンユンナム(53歳)さんの新たな仕事先は高麗航空総局・タクシー事業所だ。
 「新装したばかりの国際線ターミナルと平壌市内を快適に移動してもらうため、お客様へのサービスには細心の注意を払う」と誓っている。 
 高麗航空のタクシー事業は乗用車だけでなく、小型バスもあり、観光ツアーやグループ旅行への便宜もはかっている。

 将来、平壌国際空港と平壌市内を高速鉄道や高速道路で結ぶ計画も浮上している。旅行者は近い将来、新たな交通網を利用することでより快適に平壌市内に入ることができそうだ。

    (アジア・ウオッチ・ネットワーク 小堀 新之助 / 2015年10月)

#31 釣りと老後  



キム・デシクさん(69歳)
 平壌中心部を流れる大同江(テドンガン)は、朝鮮の五大江の一つだ。「水が玉のように清らかに流れる」ということから「玉流」とも呼ばれる。
 大同江や普通江(ポトンガン)の河畔散策は朝鮮観光の定番だが、散歩中に必ずと言っていいほど釣り人に会う。釣りは朝鮮語で「ナクシ」というが、平壌は釣り好きが多い。
 最近では当局が各区域ごとに「釣り愛好家協会」を設け、釣り人の交流を図ったり、釣りのポイントには釣り道具の売店を設けたりして喜ばれているらしい。先日、普通江では釣り愛好家が自慢の腕を競う競技会が開催された。

 西城区域の釣り愛好家協会のリ・ヤンヒョン書記長(56歳)は「区域内の釣り愛好家がこの日を心待ちにしていた」と言う。この競技で優れた5人が、次の平壌市の競技会に進むことができる。そこで釣りの腕前が評価されると9月に大同江で行われる中央競技会への参加が認められ、自慢の釣り竿裁きを発揮できることになる。

 競技では釣り糸が水中に沈むと早速あちこちで魚がはね上がった。2時間で釣れた魚を審査員が評価して順位を決める。
 この競技会で優勝したのは釣り暦4年のキム・デシクさん(69歳)で、彼は大魚を釣りあげた。
 「最初は経験もなく、一日中浮きのみ眺めていると退屈になりました。しかし、そばの人が魚を釣るのを見て頑張りました。もう一日でも釣りに行かないと病気にかかりそうで我慢なりません。普通江を離れては一刻も生きられないです」と釣りへの思いを打ち明けた。
「高齢者のために釣り愛好家協会が作られました。人生の晩年をさらに楽しく送ることができます。私たちは本当に幸せです」。キム・デシク氏は釣りに没頭して余生を楽しんでいる。

 (アジア・ウオッチ・ネットワーク 北朝鮮取材班 / 2015年10月)


#32 「時間」奪還の真意



社会科学院歴史研究所所長
チョ・フィスン(曹喜勝)博士


仰釜(ぎょうふ)ニッキ

 日本の国会にあたる北朝鮮の最高人民会議常任委員会は、同国の標準時を現行より30分遅らせる「平壌時間」を設定し8月15日から適用する政令を発表した。日本との時差はなかった、15日以降は日本、韓国より30分遅れることになる。
 朝鮮半島の時間は日本と同じ、東経135度を基準とするタイムゾーンだった。しかし、「大韓帝国」時代に今回と同じような日本と30分差の標準時を適用した時期があったが、1910年の日韓併合で日本と同じ時間帯の運用になった。

 北朝鮮の社会科学院歴史研究所所長・チョ・フィスン(曹喜勝)博士は「平壌時間」制定の背景を「自分たちの時間さえ日帝に奪われたもので、朝鮮人民は時間を取り戻した」として次のように語った。
Q:なぜ今標準時間を直すのか?
 今まで朝鮮と日本は9経帯時の日本の標準時(東京時間)を使ってきま した。8経帯時(北京時間)と9経帯時の時差は1時間です。
 世界中のホテルや空港の時間表に「朝鮮時間」、「平壌時間」、
 「ソウル時間」というものありません。それは朝鮮固有の時間が
 日本に奪われたからです。
Q:時間も盗まれるのか?
 盗まれます。日帝は1905年、強盗的な「乙巳5条約」(日韓保護
 条約)をねつ造して朝鮮の外交権を強奪しました。
 そして1906年から、朝鮮にあるのすべての侵略的出張所で日本の
 標準時を使用するようにした。正午(12時)を日本出張所では12時30分
 にしました。
Q:1905年以前には朝鮮で時間をどのように測定したのか?
 わが国には新羅の慶州の瞻星臺と高麗開城の満月台近くの天文台、
 高句麗王宮址の安鶴宮近くの天文台(平壌民俗公園周辺)などがありま
 した。先祖が天文台(瞻星台)を設置して天文を見たのは太陽や月、
 星の観測、気象気候観測など様々でした。このうち、太陽の観測は
 時間測定につながります。太陽の観測を通じて十二支に即して時間を
 測定、制定していました。わが国の日時計として一番有名なのは
 「仰釜(ぎょうふ)にっき)」です。
 15世紀以降、わが先祖は日時計の「仰釜ニッキ」、水時計の「自撃漏(じげきろう)」で時間を正確に測定してきま した。「仰釜にっき」では人の頭の頂上に陽が着いた時、人の影が隠れた時が正午でした。
  つまり、正午は太陽が地平線上から子午線を経過する瞬間(12時)ということです。わが国で正午は近代的経帯時に よると東経127度30分です。現在の正午と数百年前の「仰釜にっき」による正午は大きな差がないです。
Q:朝鮮時間を如何にして日帝が強奪したのか、朝鮮の標準時をどうして日本時間にあわせたのか?
 時間を強奪したというのは朝鮮固有の独自の時間制度をなくし、標準時間を日本時間に無理に合わせたことを
 意味します。わが国は国際的な時経帯によると8経帯と9経帯の間に位置しています。経帯時(時間)とは経度によっ て地球の表面を24個の経帯に分け、それぞれの経帯で同じ時間を使うものです。球体(正確には楕円)の地球を15度ず つ分けて24個の経帯に区分し、1経帯の間に1時間の時差を設けたものを経帯時と言います。わが国は8経帯と9経 帯の間に位置しています。8経帯には平壌、ソウルをはじめ陸地面積の55%、9経帯には45%があります。
 従って、わが国は8.5経帯の時間を使用する方が正しいのです。
  わが国は長い間、独自の時間制を使用してきました。「仰釜にっき」を改良したものと「自撃漏」、また欽敬閣に
 設けられた「玉漏機輪」などで測定した時間です。これは今の8経帯と9経帯の間に属する時間でした。
 しかし、日帝は「(東京からの)指示を円滑に」執行させ、朝鮮人たちが日本の統治時間に慣れるようにするため、
 日本時間を押し付けたのです。日帝は1910年、朝鮮を完全に占領した後、山川と土地、文化遺産などを強奪するとと
 もに朝鮮独自の時間も完全に奪ったのです。
 日帝が朝鮮占領25年と30年を「記念」して編纂した「施政25年史」(185ページ)と「施政30年史」(82ページ)に、
 次のように記されています。
 「明治39年(1906年)6月2日以来、半島に於ける日本帝国の諸官署のみは日本の標準時を使用明治41年(1908)年
 4月1日以後は半島に於ける日韓両国の官署共帝国(日本)中央標準時に対し30分の時差を置いて、標準時としたが、
 合併後内地との関係が益益密接となり、相互の交通(往来が)亦頻繁を加えるにいたり、これを統一する必要性認め、
 明治45年(1912年)1月1日より朝鮮の標準時は中央標準時に據ることとした」。 
  日帝は搾取と略奪、朝鮮の永久的奴隷化の下心で朝鮮独自のの時間を奪ったのです。時間は人間の生活と密接に
 結び付いています。宗主国の日本にとって植民地朝鮮の時間が同じであれば強盗的な指令も「円滑」に施行でき
 ます。日帝はいわゆる「内鮮一体」、「同祖同根」を唱えながら「皇国臣民化」しようとしました。正午(12時)に
 サイレンが鳴ると皆、日本の「皇居」に向って「正午黙祷」、「宮城遥拝」を強いたのです。「天皇」に忠良な
 「皇国臣民」に化するために、日本時間を押し付けたのです。
Q:70年間も経っているのに、はなぜ時間を取り戻さなかったのか?
 今日の「東京時間」は日帝の残りかすだから直さなければならないと論議されました。しかし、定着した標準時間を
 直すのは簡単なことではありません。とはいえ、そのままに放っておくこともできません。我々は、祖国解放70周年
 に際して、日帝の残像を清算し、朝鮮固有の標準時間を「平壌時間」と命名しました。これは100年来の快挙です。

   (アジア・ウオッチ・ネットワーク 北朝鮮取材班 / 2015年10月) 

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