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アジアに密着 Asia-Wach Network

市場からの警告 (2019年2月10日)

BTS車内でもマスク姿が目立つ


 よどんだ大気に包まれるバンコク市内

 最近、東アジア各地で大気汚染が深刻になっている。韓国のソウル首都圏では、「PM2.5」による大気汚染が過去最悪水準となる日があった。「PM2.5は中国から飛んで来た」との見方が韓国で強いが、中国政府が「韓国内で排出された」と反論。韓国側が再反論するという責任のなすり付け合いに発展している。
 ソウルの1日平均のPM2.5の濃度は、この日、1立方b当たり122マイクログラムを観測。注意報の基準となる75マイクログラムを大幅に超えて過去最悪に。「首都圏非常低減措置」が発令され、公共工事や公共機関の車両の運行が一部制限されたという。
 また、バンコクでもこの1月30日、大気汚染悪化により、バンコクの437校が休校となった。子供たちを、危険なPM2・5などを含む汚染スモッグから守るためである。バンコクでは「公害管理区域」として、基準を満たさないディーゼル車の利用や有害なゴミの焼却などは禁止されることになるという。
 問題のPM2.5は、日本では「微小粒子状物質」と呼ばれる。微細な汚染物質で、呼吸器系など健康への悪影響が大きい。粒子小さいので、長く大気中を浮遊しているために、発生源から離れた場所でも影響を受ける、というやっかいな存在だ。大気汚染の拡大・グローバル化である。この事態に目を向け、想起したいのは、国連が提唱する持続可能な開発目標(SDG's)の17の目標と169のターゲットである。グローバルビジネスの世界では、これに沿った事業活動でなければ、いずれ市場から退場させられかねないという危機感が浸透しつつある。
 SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称だ。SDGsは2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年〜2030年の15年間で達成するために掲げた目標だ。17の目標のいくつかを紹介すると「すべての人に健康と福祉を」(3)、「エネルギーをみんなに そして」クリーンに」(7)、「住み続けられる まちづくりを」(17)などだ。
 日本でも、企業の工場などからの汚染物質の排出や騒音などがまき散らかされ公害が深刻だった。国連の掲げたSDGsは、地球環境をこれ以上悪化させないために、知恵と技術力で「発展と環境保全」の両立を視野に入れた「持続可能な開発」を目標にしたものだ。17の目標と169のターゲットに向かって事業が進められているかどうか、が企業・組織に問われているわけだ。まして、大気汚染を助長するような「後退行為」は許されるはずもいない。


枯葉剤 (2019年1月25日)

ベトナムのグエン・ドクさん(37)のニュースが何本か報じられた。ドクさんは、ベトナム戦争中、米軍が撒いた枯れ葉剤の影響とみられる結合双生児として生まれた。「ベトちゃんドクちゃん」の弟である。南部ホーチミンで、チャリティーのマラソンイベントに参加した、という。枯れ葉剤の被害者救済や啓発を目的にしたイベントで、障害のある現地の子供たちとともに、松葉づえをつきながら約3キロ、歩いた。 ドクさんは、約30年前に日本の支援で分離手術を受けたことで知られる。障害児学校から中学校に入り、その後、職業学校でコンピュータプログラミングを学び、病院の事務員となった。一方、兄のグエン・ベトさんは脳障害で寝たきりの状態が続き、2007年、26歳で死去した。 二人が生まれたのは、中部高原のコントゥム省。この地域にも枯葉剤が多量に散布された。母親は、ベトナム戦争終結後に枯葉剤のまかれた地域に移住し、農業を行っていた。枯葉剤がまかれた井戸で水を飲んだという。  この深刻な後遺症については、実際に取材したことがある。ハノイに障害児たちの施設「平和村」があった。ここには、ベトナム戦争だけではなく、ベトナムのカンボジア侵攻(1978年)の際、カンボジア国境付近で残留枯葉剤を浴びたベトナム軍人の子どもたちがいた。当時、8歳だった男の子は、本人が直接、浴びたわけではないが、生まれつき両足のひざから下がなかった。父親は軍人として動員され、長期間、カンボジア国境のタイニンの密林地帯に駐屯。この周辺は米軍が南ベトナム解放民族戦線の拠点をたたくため、大量の枯葉剤をまいた、といわれる。この父親は、残留していた猛毒の枯葉剤を浴びたのだ。 取材した施設「平和村」には、「難しいことでも意志さえあれば、実現できる」という、ホーチ・チ・ミンの言葉が、標語として掲げられていたのを記憶している。なんの罪もない、障害を持つ子供たちへの「建国の父」からの励ましである。この激励の言葉通りに困難を克服してきたのがドクさんだろう。 ドクさんに関するもう一つの話題は、ホーチミンに日本風の飲食店をオープンさせたことだ。報道などによると、ドクさんは世話になった日本、支援者を大切にし、これまで40回以上訪日しているが、ベトナムでも交流する場を作りたいと考えていた。店では日本のうどんや、ベトナムの麺料理などが食べられるという。店名はずばり「ドク ニホン(Duc Nihon」。日本への思いが伝わってくる。
店の前に立つグエン・ドクさん














ヒンドゥー寺院 (2019年1月10日)



 「ラーマ(ヒンドゥー教の神の化身)よ、万歳」。昨年12月、インドの首都ニューデリーで行われたデモで、参加者からこういう叫び声があがり、政府に対し、ラーマが誕生したとされる北部アヨディヤでの寺院建設が強く求めたという。
 インドでヒンドゥー至上主義者の活発な活動が収まらない。今春の総選挙を前に対立軸の宗教問題を前面に出すことで、モディ現首相の与党でヒンドゥー至上主義政党の「インド人民党」(BJP)の支持拡大を図る思惑があるとみられる。
 アヨディヤを巡っては1992年、16世紀に建てられたモスク(イスラム礼拝堂)について、ヒンドゥー至上主義者が「モスクができる前はヒンドゥー教寺院があった」と主張しながらモスクを破壊し、これに反発したイスラム教徒とヒンドゥー教徒の暴動が全土で発生し、計約2000人が死亡した。
 それでもこのモスク跡地への寺院建設の要求は収まらず、2014年の前回総選挙で、BJPは公約で寺院建設を掲げて政権を奪取した。それがいまだ実現していない。もし、今度の選挙でイスラム教徒が多く支持する野党の国民会議派が政権を担ったとしたならば、さらに実現が難しくなる、というのがデモ参加者の焦りの心情だろう。
 イスラム教徒はインドでは少数。当面は静観するとみられるが、突発的な衝突がきっかけで宗教暴動につながる危険性はある。

 宗教暴動といえば、2002年1月に現地取材をしたことがある。ヒンドゥー教徒の乗った列車がイスラム教徒に放火された事件をきっかけにした西部グジャラート州での暴動である。1,000人以上の死者が出て、軍が中心都市アーマダバードなど4都市に計約3,000人の兵士を配置したほどだった。死者の多くはイスラム教徒で、当時、現地から「グジャラート州の最大都市アーメダバード宗教暴動に関しては、陸軍部隊の増員などで一応、沈静化の方向に向かっている。 列車放火事件に対するヒンドゥー教徒の報復は、都市部では主にイスラム教徒が経営する商店やモスクなどが対象となった。
 一方、地方ではイスラム教徒の住居への襲撃が相次ぎ、一家全員死亡などの悲劇が起きている」という記事を送った。このグジャラート州といえば、インド独立の父で非暴力主義のマハトマ・ガンディーの誕生の地であり、ヒンドゥー・ナショナリストと言われるモディ首相が、暴動当時、グジャラート州を州政府首相として統治してきた因縁の地でもある。
 この暴動について、「モディ氏は、暴力を止めるのに対応が不十分だった」との批判がくすぶり続けているという。宗教対立そして暴動の火種はいまも残っている。